2014/08/26

耳をすませばの雫と聖司のような青春時代は過ごせなかったが聖司の爺さんみたいになるにはまだ可能性があると気がつく

耳をすませばをおっさんになってから見ると、雫と聖司のような学生時代は送れなかったな。と過去を見るが聖司の爺ちゃんが仲間たちと音楽を演奏するシーンで、こういう爺さんになるにはまだ時間が残されている。とまだまだこれからだなと思うわけです。

耳をすませばが公開されたのは自分がちょうど思春期を迎えるかどうかというような頃で、月島雫と天沢聖司のような学生時代や青春時代を送りたいなあなんて思いながらも、あそこまではこっ恥ずかしいところもあって。

ラストに、結婚してくれないか!なんて言ってしまうのはさすがに見てる側もニヤニヤしてしまう。

時を経て、そんな青春時代は自分には送れなかったな、と過去を悔いながらも耳をすませばくらいの作品ともなると金曜ロードショーでも定期的にやっていてその都度見てしまう。30歳を超えた今でも。

月島雫が天沢聖司にバイオリン弾いてみてよ、とお願いする。

その代わりお前歌えよ!知ってる曲だから。

でカントリーロードを弾き始めるシーンがある。

何このかわいいやりとり。なんて思っているのだけれど、30歳を過ぎてなんとなく昔からの友人たちとも少しずつ疎遠になりつつある時、自分にはこういう青春時代は送れなかったなと過去を見ているだけでなくこういう爺さんになりたいなと思わせる未来もあることに気がついた。

月島雫と天沢聖司が歌い、バイオリン弾いているとそこに天沢聖司のお爺さんとその音楽仲間が帰ってくる。シィーっと二人のその様子を覗き、天沢聖司のお爺さんを含めて3人それぞれが楽器を手に持って即興でその演奏に加わる。

そのシーンには月島雫と天沢聖司の青春時代とお爺さん世代が描かれている。

その場には彼と彼女のお父さんやお母さんは立ち会ってはいない。

自分は今まさにその間の世代を生きている。その間といっても20代から50代か60代くらいまでと非常に幅広いのだけれど。

月島雫と天沢聖司は自分にとっては過去で天沢聖司のお爺さんとその仲間達は自分にとっては未来になる。

それで、自分は残念ながら月島雫と天沢聖司のような青春時代は送れなかったと過去を悔いるわけだけれど、同時に、天沢聖司のお爺さんとその仲間の陽気で楽しそうな姿を見て、ああいう未来を送るにはまだまだ時間がある。あんな青春時代を過ごしたかったなんて言うのもほどほどに、天沢聖司のお爺さんのように阿吽の呼吸で一緒に音楽に入っていけるような仲間達と共に楽しく過ごせる爺さんになれる可能性はまだ残されている。過去にはなれなかったけれど未来ああなれるかどうかはまだまだだぞと言われている気がするのです。

そして、月島雫と天沢聖司の二人とおじいさんたち3人との間のわずかな空間。本来であればそこにいる世代の人間としても、爺さんになるのは随分先の未来だなんて言ってられず、本当ならば今すぐにでもその場にいられる人間でないといけないんだなと現在の自分に対しても励まされるわけです。

この頃、定年を迎えた直後や定年後数年経ったという方に接する機会が多くあります。その彼らの過ごし方を見て、耳をすませばのこのシーンを思い出したのでした。

ああいう爺さんになるのが自分の理想かどうかは人それぞれだけれど、少なくともああなっていたい、こうなっていたいと思う爺さんになるにはまだまだ時間は充分ありますよ、と。同時に青春時代と爺さんの間の世代もそこに乗り込んでいかなきゃ自分の理想とする爺さんになれないんじゃないのかな、と思うシーンでした。

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